山陰まんなか観光局

山陰地方の
中心地への旅

スポット

出雲神話の大国主大神を祀る 01出雲大社

大国主大神を祀る日本最古の神社の一つで、縁結びのパワースポットとしても人気です。『古事記』『日本書紀』によれば、出雲大社は「国譲り」の際に建てられた大宮が起源とされています。現在の社殿は1744年に建てられたもので、高さは24メートル。1952年に国宝に指定されました。60年ごとに遷宮が行われています。

A出雲市大社町杵築東195

Pあり

TEL0853-53-3100

神々が出雲に集まる神在月
出雲大社は縁結びの神様として有名です。毎年「神在月」と呼ばれる旧暦十月になると、全国の神様たちが出雲大社に集まり、縁について話し合うと言われています。そのため、出雲大社は良縁を求める人々に人気の参拝スポットとなり、多くの人が訪れます。

「神迎神事」
旧暦の十月十日の夜に全国から訪れる神々を迎える儀式。

◆出雲大社への参拝方法◆
ほとんどの神社では、2回お辞儀をし、2回拍手をして、最後にもう1回お辞儀をしますが、出雲大社では、2回お辞儀をし、4回拍手をして、最後にもう1回お辞儀をするのが正しい方法です。

神門通り

国宝であり松江のシンボル 11国宝 松江城

松江城は、松江市中心部を見下ろす荘厳で威圧感のある平山城です。江戸時代初期の 1611年に完成し、千鳥が羽を広げたような曲線の屋根「入母屋破風」が東西南北の四方に乗っていることから、別名「千鳥城」と呼ばれるにようになったと言われています。 現存する天守を持つ城は全国でわずか12城しかなく、松江城はそのうちのひとつです。他の多くの日本の城と同様に、松江城も長年にわたって改修を重ねてきましたが、中心となる天守は 基本的に当初の姿を保っています。

代々続く家の統治
松江城の建設は、堀尾吉晴によって始められました。その後、城は京極忠高に継承されましたが、忠高は跡継ぎのないまま死去したため、初代徳川将軍家康の孫である松平直政が城主となりました。直政は初代松江藩主となり、松江は文化と経済の長期的な繁栄期を迎えました。松平家は、明治維新後に藩制度が廃止されるまで、10代にわたって松江城を保持しました。1873年の廃城令によって多くの日本の城が取り壊される中、松江城は市民や地元リーダーの資金集めや熱心な支持のおかげで、中央の天守が保存された後、城は徹底的な修復が行われ、2015年には国宝に指定されました。

理想的な防御拠点だった松江城
松江城の立地は、陸地や宍道湖からの攻撃から守られるとともに、周辺の水運を利用しやすい交通の便にも恵まれていました。掘られた堀は、今もほとんどが残っており、掘り出した土は城の西側の湿地帯を埋めるのに使われました。大橋川は、もう1つの天然防御線として機能しました。日本の城は通常、複数の曲輪(くるわ)と呼ばれる防衛区域に分けられており、松江城には3つの曲輪があります。本丸は城内で最も高く安全な場所に位置し、天守が建てられていました。二の丸は上下に分かれており、上段には殿主の住居と政務を行う建物、下段には兵舎が置かれていました。三の丸には官舎も含まれていましたが、これらはすべて明治時代に解体されました。その後、二の丸上段に神社が建立され、1903年には西洋風の大きな迎賓館が増築されました。三の丸跡地には現在、島根県庁舎が建てられています。

数多くの門やその他の建造物は取り壊されましたが、城の巨大な石垣はほぼ完全にそのまま残っています。

革新的な設計機能
松江城の目玉は、見事に保存された天守です。外観上は、高く傾斜した石垣の上に4層の階層が建ち並び、上に行くにつれて小さくなっているように見えます。天守閣は黒い墨塗りの板壁で覆われ、重なり合う屋根や破風(はふ)が外観を引き締め、内部空間を守っています。最上階の屋根は、木彫りで、表面は銅板で覆われた「しゃちほこ」と呼ばれる、伝説の海の生き物を模した勇壮な棟飾りで飾られています。

外観こそ4層に見えますが、松江城の天守は五階建、地下1階付になっています。また、この天守の珍しい特徴のいくつかは、建設者たちが直面した問題への解決策として開発された革新的なものです。松江城が建てられた17世紀初頭は、日本全国で城の建築が盛んに行われており、森林伐採が深刻化していました。そのため、この種の建築様式で用いられるような太い柱材を手に入れることが困難だったのです。城の設計者たちは、このような状況を克服するため、より小さな木材を束ねた柱を用いました。この柱は天守内部に130本確認することができます。

構造的な安定性をさらに高めるため、柱は1階分だけ支えるのではなく、2階分の高さにわたって連続するように組み合わされました。互い違いに配置されることによって、強固な構造になっています。また、短い柱を水平の梁で巧みに支えることによって、負荷を分散し、長い柱が不要になりました。さらに革新的な特徴としては、軽量な桐材で作られた取り外し可能な内部階段が挙げられます。必要に応じて階段を引き上げることができ、侵入者が上の階に上がるのを防ぐことができました。地下は物置としても使われましたが、城が包囲されたときに信頼できる水源を確保するために、井戸も掘られていました。

城下町と領地の風景
松江城を訪れると、館内には多言語で解説された歴史展示や、城郭の設計上の特徴についての説明を見ることができます。最上階はかつて見張り台として使われており、宍道湖、周辺の山々、そして眼下の街並みが一望できる大きな窓が備わっています。まさに、松江藩主たちが何世紀にもわたって見続けてきた景色が広がっているのです。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A松江市殿町1-5

O[4月~9月] 8:30-18:30 [10月~3月] 8:30-17:00

C年中無休

P大手前駐車場

TEL0852-21-4030

松江の400年の歴史 松江歴史館

資料や映像、模型などで、城下町の仕組みや歴史、文化を分かりやすく展示しています。 また、見学者は館内のカフェで抹茶と和菓子を楽しみながらゆっくりと過ごすことができます。松江城下町を散策する際の出発点としても最適で、松江城を知るには欠かせないスポットです。

A松江市殿町279

O9:00-17:00

C毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)および年末年始(12月29日~1月1日)

P大手前駐車場

TEL0852-32-1607

季節を感じる船旅 堀川遊覧船

松江城は築城当時の堀が残されています。遊覧船に乗って、レトロな街並みや小泉八雲ゆかりの地など、様々な見どころを楽しむことができます。

A松江市黒田町507-1

O9:00-17:00(営業時間は季節により異なります)

C年中無休(荒天時運休、又はコース変更の場合あり)

Pあり

TEL0852-27-0417

日本の絵画と庭園の調和した世界への逃避 26足立美術館

この美術館は1300点もの芸術作品を所蔵しています。所蔵品には、近代日本画の巨匠・横山大観による作品から、安来を代表する陶芸家・河井寛次郎や、美食家としても知られる陶芸家・北大路魯山人の作品まで、幅広いジャンルにわたります。漆器などの作品も所蔵されています。また、美術館には広大な日本庭園があり、アメリカの「The Journal of Japanese Gardening」誌による「日本庭園ランキング」で 20年以上連続1位を受賞しています。

A安来市古川町320

O[4月~9月] 9:00-17:30 [10月~3月] 9:00-17:00

C年中無休(新館のみ休館日あり)

Pあり(大型バスを含む)

TEL0854-28-7111

茶室「寿楽庵」
外に見える白砂青松庭を双幅の「生の掛軸」として眺めながら、安らぎのひとときをお過ごしください。

「横山大観特別展示室」
足立美術館には、近代日本画の巨匠、横山大観の初期から晩年までの作品約130点が収蔵されており、年間を通じて展示室で展示しています。
※無断転載禁止

山陰を代表する、海に面した温泉 36皆生温泉

皆生温泉は、鳥取県米子市の中心部から車で約15分の美しい砂浜海岸線に面した天然温泉地です。古くは漁村として栄えていましたが、温泉が発見されたのは1900年と意外に新しく、地元の漁師が砂浜から湧き上がる泡を発見したことがきっかけとされています。皆生にある旅館やリゾートホテルはリーズナブルなものから高級なものまで幅広く立地し、宿泊と日帰りの両方で入浴と海水浴場にアクセスできます。皆生温泉は、日本でも数少ない、温泉と海水浴を同時に楽しめる場所の一つです。

皆生温泉は、日本トライアスロン発祥の地としても知られており、トライアスロン競技のためのオープンウォータースイミング、サイクリング、ランニングのスポーツ施設が整備され、継続的に改善が重ねられてきたことから、日本オリンピック代表選手などもトレーニングに訪れています。 海岸線を走る弓ヶ浜サイクリングコースは、皆生温泉と西へ約16km離れた境港市を結んでおり、サイクリング愛好家にも人気です。 また、皆生は透明度の高い海とホタテの形をした浜辺がシュノーケリング愛好家を引きつけています。スタンドアップパドルボードやシーカヤックなどのマリンアクティビティも人気です。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A米子市皆生温泉3-1-1

O8:30-18:00

C年中無休

P30台

TEL0859-34-2888(皆生温泉旅館組合)

皆生温泉は日本のトライアスロン発祥の地であり、7月には多くの鉄人が訪れます。

海風を感じながらリラックスできる足湯
皆生には、誰でも無料で利用できる足湯が2か所あります。海が見える「潮風の足湯」と、季節の花に囲まれた「花風の足湯」です。
潮風の足湯
■営業時間 10:00-21:00
花風の足湯
■営業時間 10:00-21:00

おなじみの妖怪がいっぱいの、水木しげるの世界 46水木しげるロード

水木しげるロードは、境港駅から続くメイン商店街約800メートルにわたる一角で、この街で育った世界的に有名な漫画家、水木しげる氏を称えています。通り沿いには、177体の妖怪ブロンズ像が立ち並び、水木氏の代表作である「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するキャラクターをはじめ、水木氏が描いた日本神話や民話に登場する妖怪たちも展示されています。水木ファンをはじめ、多くの観光客が境港に訪れています。

妖怪ゾーン
5つのテーマに分けられて設置されているブロンズ像の大きさは様々で、小さなものから等身大のものまであります。 ほとんどの像はユーモラスな表情をしています。 案内地図もたくさんあるので、お気に入りを見つけながら街並みを探索することができます。 一角には妖怪神社があり、珍しい形の鳥居をくぐると通りに出られます。 中央には大きな黒御影石と木でできたオブジェがあり、その脇には不気味な模様がついた背の高い石の水盤が立っていて、願い事を記した木製絵馬が壁一面に飾られています。「妖怪からくりおみくじ」と呼ばれるおみくじを引いたり、妖怪ポストから郵便を出すこともできます。 少し離れた角には、「河童の泉」があります。 水木しげる氏は別の一角で妻と共に、また別の場所では彼のキャラクターである目玉おやじ、ねずみ男、鬼太郎と共に製図台の前に描かれています。

妖怪ショッピング
水木しげるロード沿いには、妖怪をテーマにした店がずらりと並んでいます。ラーメン店、ATM、アンティークショップ、そしてお土産屋まで、ありとあらゆる店が妖怪をモチーフにしています。ユーモラスなアレンジが尽きることなく、見ているだけでも楽しめます。「水木しげる記念館」は、 2024年に大掛かりなリニューアルが行われました。また、水木しげるロードはコンピュータ制御プロジェクターが、お馴染みのキャラクターの影絵を通りや歩道に映し出しています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A境港市大正町から本町

Pあり

TEL0859-47-0121

鬼太郎とその仲間たち

出雲の古代の謎を探れ!! 04島根県立古代出雲歴史博物館

出雲の古代文化と歴史を展示する博物館です。
博物館には、出雲大社の境内から発掘された巨大な「宇豆柱(うずばしら)」や、かつて存在した高さ約48メートルの本殿を1/10の縮尺で再現した模型などが展示されています。古代出雲の歴史と文化を理解する上で必見の博物館です。

A出雲市大社町杵築東99-4

O9:00-18:00(9月~5月/9:00-17:00

C毎月第1・第3火曜日(祝日の場合は翌日)

Pあり

TEL0853-53-8600

出雲王国が存在していた可能性を秘める 08荒神谷遺跡・史跡公園・博物館

1984年、この遺跡からは全国最多となる358本もの銅剣が発見されました。美しく咲く蓮の花も堪能することができます。

A出雲市斐川町神場873-8

O史跡公園 9:00-18:00 博物館 9:00-17:00

C火曜日、年末年始

Pあり

TEL0853-72-9044

安来出身の作家の作品 32安来市加納美術館

安来市加納美術館は、1996年に加納莞蕾の長男である加納溥基氏によって、莞蕾の作品と平和思想を受け継ぐために開館されました。戦時中陸軍とともに中国の山西省へ派遣され、戦いの様子をスケッチしていた莞蕾は、その体験がきっかけとなり、戦後は平和活動家となりました。フィリピン政府に対し、戦争犯罪で有罪判決を受けた元日本兵の恩赦を訴え始めると、フィリピンの政府高官宛てに300通を超える反省の手紙を送り、平和を訴え、「赦し難きを赦す」ことを求めました。彼の粘り強い努力は実を結び、当時の大統領キリノ氏により、約100人の日本人戦犯に対する恩赦が宣言されました。キリノ氏は妻と子供を日本兵によって目の前で殺害されていましたが、加納とはその後親交を結び、平和活動において共に尽力することになります。

配置と収蔵品
このコンパクトでよく整備された美術館は、2階建てに分かれています。1つのギャラリーでは加納の平和活動を紹介し、もう1つのギャラリーでは、戦前から死去に至るまでの、絵画やその他の作品が常設展示と企画展で入れ替えられています。また、この美術館は、備前焼のコレクションも収蔵しており、特別イベントでは、茶室で備前焼を実際に手に取ることができます。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A安来市広瀬町布部345-27

O9:00-16:30(入館は16:00まで)

C火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

Pあり

TEL0854-36-0880

日本特有の製鉄技術「たたら」の博物館 33和鋼博物館

1993年に設立された和鋼博物館は、日本の伝統的な製鉄技術である「たたら製鉄」の歴史に焦点を当てています。この博物館では、日本刀に使用される特別な玉鋼(たまはがね)を生み出す唯一の方法であるたたら製鉄について、実物大のジオラマやビデオ、参加型の展示物を使ってわかりやすく説明しています。和鋼博物館は、日本の著名な冶金学者である俵国一博士の研究成果に大きく影響を受けています。俵博士は工学博士号を持ち、「日本の鋼」を意味する「和鋼(わこう)」という言葉を作り出したと言われています。

安来市は中国山地の麓に位置し、伝統的で高品質の日本刀の原料となる砂鉄が豊富にありました。さらに良港にも恵まれていたことから、安来は主要な製鉄中心地として発展しました。

重力選別を利用したたたら製鉄
たたら製鉄は、重力を利用した選別工程「かんな流し」から始まります。 たたら製鉄の原料となる鉄砂は、元々鉄分を含む花崗岩が自然に風化してできるものです。小さな鉄粒子が川や河川の泥の中に自然に沈殿することもありますが、最高品質の鉄砂を得るためには、露出した崖面が好まれます。そこで、重力選別を利用した「かんな流し」という方法が開発されました。この方法では、川の流れを変えて一連の水路や池を作り、砂鉄や泥から重い鉄砂を分離します。この作業は、水が農業に必要とされない冬期のみに行われていました。

たたら製鉄には大量の高品質な木炭も必要とされましたが、中国山地はまさに良質な広葉樹林に恵まれていました。1回の製鉄工程には12トンの木炭が必要とされますが、これは、森林1ヘクタールの森林の量に相当します。たたら生産がピークを迎えた頃、毎年およそ60ヘクタールの山林が伐採されていました。このような環境への大きな負荷を軽減するため、森林の再生を促す取り組みが行われてきましたが、自然の供給能力を超えていたため、森林の再生は難しくなっていったのです。

毎年新しい炉を築く
たたら製鉄は、「たたら」と呼ばれる粘土製の炉を用いて行われ、炉には、扇子のような竹製の装置を人力で操作し送風します。製鉄工程においては、毎回新しい粘土製の炉が築かれます。 炉床の下には通気孔が設けられており、鉄の品質を低下させる湿気を排除する役割を果たします。 最終的に得られる貴重な「玉鋼(たまはがね)」は、3トンもの塊状の鉄の一部に過ぎず、この塊の中には品質の劣る鉄も含まれています。粗鋼の生成には、3日間かけて木炭を補給し、送風を行い、鉱滓を除去する工程が必要でした。製鉄工程が完了すると、炉は壊され、内部の鋼を取り出します。この製鉄方法は、現在でもほぼ同じように行われており、年に数回、新しい刀のための鋼が生産されています。

伝統を守る
19世紀半ばに石炭を燃料とする高炉が導入されるまで、たたら製鉄法は、日本各地で鉄鋼生産の主要な方法でした。しかし、高炉の方が経済効率に優れていたため、次第にたたら製鉄の重要性は低下していきました。そして、実質的に姿を消してしまったのです。しかし、近年の刀鍛冶をはじめ、たたら製鉄を貴重な文化遺産と考える人々によって、この製鉄法が復活しました。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A安来市安来町1058

O9:00-17:00

C水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

Pあり

TEL0854-23-2500

アジア文化の保護と継承 42アジア博物館・井上靖記念館

アジア博物館は、アジア大陸を横断する古代の交易路であるシルクロードの織物やその他の文化財を展示する、珍しい博物館で、伝統的な庭園を中心に、5つの展示館と1つのエントランス棟が点在しています。この博物館は、地元の実業家である横地治男氏(1912-2007)の個人的な興味に基づき、私費で設立・運営されています。見学の際は、時計回りに各展示館を順に回ることを推奨しています。

最初の建物には、日本の伝統的な紡績、染色、織りの道具や工程を展示する染色・織り工房があります。2番目の建物は絣館となっており、地元の伝統的な藍染め織物である「かすり」の精巧な作品が展示されており、着物、布団、カーテンなど、様々な絣製品を見ることができます。 また、江戸時代にこの地域を交易中心地にするのに貢献した「北前船」と呼ばれる商船の六分の一のレプリカもあります。3つ目のギャラリーであるペルシャ錦館には、主に17世紀と18世紀の伝統的なペルシャ錦が数多く展示されています。四つ目の建物はモンゴル館で、チンギス・ハーンとモンゴル文化に焦点を当てた衣類やその他の織物の展示があります。ゲルの輸送を描いた大きな模型は、展示の目玉となっています。

「井上靖記念館」は、著名な日本人作家である井上靖(1907-1991年)の生涯と作品を展示しており、彼の書斎が実際の蔵書、机、私物と共に再現されています。順路通りに進むと、最後に目に入るのが玄関ホールでの展示です。エミール・ガレやその他の芸術家によるアールヌーヴォー様式のガラス細工が展示されています。カフェで休んだり、ミュージアムショップを見て回ったりすることもできます。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A米子市大篠津町57

O9:00~17:00

C月曜日(祝日の場合は翌日)

Pあり

TEL0859-25-1251

白鳳様式を現代に蘇らせた寺院 43上淀白鳳の丘展示館

この施設は、日本国内で唯一、古代寺院の本堂を原寸大で復元したものです。最古の仏教壁画の一つを含む、160点以上の貴重な文化財が展示されています。

A米子市淀江町福岡977-2

O9:30-18:00(最終入館17:30

C火曜日火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

P9台

TEL0859-56-2271

日本三大美人の湯のひとつ 07湯の川温泉

八上姫が出雲の地へ来られた際に、旅の疲れを温泉で癒し、いっそう美しい美人神になったと出雲神話の中で伝えられている「湯の川温泉」。「出雲いりすの丘」にある共同浴場と、「道の駅湯の川」の源泉かけ流しの足湯は、誰でも気軽に楽しむことができます。

A出雲市斐川町学頭

Pあり

TEL0853-72-5270(出雲観光協会斐川支所)

肌に良い温泉 21玉造温泉

玉造温泉は、日本最古の「美肌の湯」として知られています。その効果は最近の科学的証明により裏付けられ、女性からの注目を集めています。温泉街には、お土産も充実しており、足湯やパワースポットも楽しめます。

A松江市玉湯町玉造

Pあり

TEL0852-62-3300(松江観光協会 玉造温泉支部)

宍道湖の風景に溶け込む 22松江しんじ湖温泉

松江市からアクセスしやすい温泉地です。旅館からは宍道湖を一望でき、温泉に入った後、湖畔で涼むこともできます。また、町中には足湯もあります。

A松江市千鳥町

TEL0852-21-7889(松江しんじ湖温泉組合)

温泉の力で癒される 23鹿島 多久の湯

露天風呂、サウナ、貸切風呂(要予約)など、様々なお風呂が楽しめる日帰り温泉施設です。

A松江市鹿島町北講武885-7

O10:00-21:00(受付は20:30まで)

C木曜日(祝日の場合は翌日)

Pあり

TEL0852-82-9300

神々が降り立つ理想郷 24八雲温泉 ゆうあい熊野館

熊野大社に隣接した温泉宿泊施設。季節の美味しいお料理のほか、日本庭園の岩風呂など多彩なお風呂をお楽しみいただけます。

A松江市八雲町熊野773-1

O10:00-21:00

C火曜日

Pあり

TEL0852-54-0140

尼子氏御用達の源泉かけ流し温泉 28さぎの湯温泉

「さぎの湯温泉」は安来市の飯梨川沿いにある天然温泉です。伝説によると、この温泉は8世紀にサギが怪我をした足を癒すために浸かっているのが見つかり、発見されたそうです。

戦国時代には、近くの月山富田城の歴代城主が御殿湯として利用していました。しかし、1666年の大洪水で温泉と飯梨川沿いの多くの集落が破壊され、温泉は忘れ去られました。

約100年前、 温泉の源泉が再発見され、伝統的なスタイルの旅館の中心となりました。旅館の玄関部分は、かつて出雲大社の近くにあった築130年の農家を改装したものです。丁寧に解体され、現在の場所に運ばれ、再建されました。長年にわたり、近くにはいくつかの旅館が開業し、世界的に有名な足立美術館から徒歩圏内にある小さな温泉街を形成しています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A安来市古川町

Pあり

TEL0854-23-7667(安来市観光協会)

日本海を眺めながら癒される 51みなと温泉 ほのかみ

ほのかみのコンセプトは「おもてなし」。従来の建物を改装し、和モダンテイストの広めの休憩スペースを設けました。全10室の家族風呂を備え、部屋ごとに雰囲気やお風呂が異なります。どの部屋からも日本海や大山が一望できます。

A境港市竹内団地255-5

O[大浴場] 10:00-21:00(受付終了20:30) [貸切家族風呂] 10:00-22:00(受付終了21:00

C毎月第3火曜日(祝日の場合は翌日)

Pあり

TEL0859-45-1213

眼病平癒の仏陀 05一畑薬師

「眼病平癒」と「子どもの健やかな成長」のご利益があるとされ、古くから日本各地で信仰を集めてきた癒しの仏像があります。施設内には洋風のコテージがあり、宿泊することもできます。コテージからは宍道湖や、大山などの山々を一望できる絶景が望めます。

A出雲市小境町803

O8:30-17:00

Pあり

TEL0853-67-0111

歴史と文化のある通り 06木綿街道

江戸時代や明治時代の豪商などの美しい町屋を見ることができます。醤油蔵見学や日本酒の試飲など、アクティビティも充実しています。昔ながらの日本の町並みが残る貴重なエリアです。

A出雲市平田町841

O9:00-17:00(木綿街道交流館)

C[木綿街道交流館]火曜日(祝日の場合は翌日)

Pあり

TEL0853-62-2631(木綿街道交流館)

スサノオノミコトを祀る神社 10須佐神社

出雲國風土記によると、この神社はスサノオノミコトが自ら魂を鎮めた霊蹟で、肉体を捧げて自然と一体になった地だと言われており、御霊は神社が建つ谷全体に宿ると信仰されています。スサノオノミコトは出雲大社にも祀られていますが、須佐神社は規模こそ大きくないものの、真の御魂鎮座の地として古くから崇められてきました。

神社の場所
史料によると、須佐神社は元あった近くの丘から現在の場所に移され、何世紀にもわたって何度も再建・改築されてきました。この神社は、神社の横を流れ、敷地の境界線ともなる須佐川と平行に建っています。この川には、かつて高官の使用を目的とした黒塗りの特殊な儀式用の橋が架けられていました。境内には、小さな社殿などがいくつかあり、 スサノオの姉である天照大御神が祀られています。

神社への入り口
須佐神社への参拝者は、まず随神門をくぐります。これは屋根付きの小さな木造の門で、屋根の下には金色やその他の明るい色が塗られた一対の狛犬が周囲に目を光らせています。随神門をくぐり、 拝殿本殿の前にある閉じた礼拝堂である 最初に祈祷と供物はここで行われるのが通例です。この様式で建てられた多くの神社と同様に、この神社にも長い屋根付きの階段があり、 拝殿からこの階段を上れるのは神主のみです。それ以外の人が本殿を見るためには横に回る必要があります。

神社の敷地は雑木林に覆われており、 最初に高さ12メートルの建物を見ると圧巻です。この狭い空間で本殿を全て視界に収めるためには、首を大きく上げなければなりません。そのことで視覚的なインパクトはより大きなものとなります。1500年代には、同様の設計で倍の高さがある本殿が建てられました。現在の本殿は19世紀のものです。

大社造様式
本殿は、大社造と呼ばれる、高い木製の柱で高床式になった様式で建てられています。これは出雲大社を原型としたもので、塗料の塗られていない杉材が用いられています。屋根も杉板で覆われており、棟には神社によく見られる鰹木と千木が装飾的に配されています。鰹木は先細りの円柱を水平に敷き詰めたもので、千木は棟梁の端からV字型に立ち上がった木の部材を交差させたものです。本殿は美しい杉板の柵で囲まれており、両側に小さな門がありますが、参拝者は立ち入ることができません。神道の信仰によると、私たちの醜さや不完全さを目撃して神々が驚かないように、内部は人の目に触れないようになっているとのことです。

本殿の裏側には、大杉さんと呼ばれる杉の巨木があり、この地域で最も高い杉の木となっています。歴史の記録によると、樹齢は1300年を超え、古代から生き続けるものとして畏敬の念を集めています。節くれだった根は蛇のように地面を横切り、多くの参拝者は根に触って祈願します。

須佐神社の7不思議
須佐神社は「7不思議」の伝説で知られています。日本海と繋がっていると言われ、塩水が出る井戸「塩ノ井」、「影無桜」と呼ばれる影のない桜、男性と女性を示す「相生の松」と呼ばれる松などがあります。その他にもイナダヒメが出産した後に胎盤を樫の木で包み、松の葉で結んだところから、樫の木と松の木が生えたという「落ち葉の槇」や、乱雑に扱うと洪水を引き起こすと言われる「雨壺」もあります。神社には「神馬」と呼ばれる馬が飼われており、白くなることで災いを予知すると言われていました。最後の不思議は、須佐川を挟んだ反対の山腹の岩肌によく見られる「星滑」という、山の斜面のむき出しになっている岩肌に頻繁に白い点が現れる現象です。白い点がいくつ見えるかで、次の収穫がどのようなものかが分かると信じられていました。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A出雲市佐田町須佐730

Pあり

TEL0853-84-0605

国引き神話を巡る旅 17意宇六社巡り

「意宇」は古代出雲国の政治と文化の中心地です。「八重垣神社」や「熊野大社」などの6つの社はいずれも出雲国造とゆかりの深い神社で、古くから信仰を集めてきたと言われています。

A松江市(揖夜神社)

Pあり

TEL0852-52-2043(揖夜神社)

占いの池 18八重垣神社

八重垣神社は、スサノオノミコトとして知られる英雄とその妻(イナダヒメ)を祀っています。伝説によると、スサノオノミコトは妻を大蛇ヤマタノオロチから守ったと言われています。境内にある「鏡の池」は人気のパワースポットで、訪れた人が縁結びの占いをできる場となっています。

A松江市佐草町227

Pあり

TEL0852-21-1148

縁結びと美の神様を祀る神社 19熊野大社

熊野大社は、古代出雲国における重要な一宮であり、スサノオノミコトを祀っています。伝説によると、スサノオノミコトは婚約の際にイナダヒメに櫛を贈ったと伝えられています。

A松江市八雲町熊野2451

Pあり

TEL0852-54-0087

神々と共に暮らす港町 20美保神社

えびす様を祀る総本山。ここは出雲大社と共に、地元の人々が古くから神様を崇敬してきた由緒ある神社です。この地域の町は、多くの船舶が寄港する港町として栄えました。

A松江市美保関町美保関608

Pあり

TEL0852-73-0506

古木巨杉に囲まれたパワースポット 27安来清水寺

安来清水寺は、安来市東部の人里離れた渓谷にある仏教寺院です。この寺院へは、森林に覆われた谷を通る長い石段で行くことができます。この石段には風化した門が架けられ、要所には石灯籠が並んでいます。寺院の本堂、三重塔、その他の建物は、長い石段でつながれたテラスに建てられています。本堂への参道には、千年杉と呼ばれる巨木が聳え立っています。

観音伝説
瑞光山清水寺は天台宗の寺院で、悪い運気を払うご利益があるとされています。伝説によると、この寺のある山は、かつては不気味な森で、夜になると超自然的な光が差し込み、村の人々を恐怖に陥れていました。村人たちは、旅の僧侶である尊隆上人にこの光の源を突き止めるよう頼みました。尊隆上人が森の奥深くを探していると、老人が彼の前に現れました。老人は長年観音様を信仰してきたが、来世に行く準備ができており、自分の代わりに観音様を祀り続ける人を探していると言いました。尊隆上人がその申し出を受け入れると、老人は聖なる観音菩薩像を彼に贈りました。尊隆上人は像を祀るために藁葺きの小屋を建てて像を安置しました。山には水源がありませんでしたが、一週間ひそかに祈りを捧げると、近くに清らかな水が湧き出しました。これが、今日まで観音様を祀っている瑞光山清水寺の起源です。寺の名前は、次の二つの奇跡的な出来事に由来しており、瑞光は「幸運の光」、清水は「澄んだ水」を意味します。

朝廷の支援
史料によると、この寺は587年に建立されたようですが、実際の創建年は定かではありません。創建後すぐに推古天皇の庇護を受け、その後も有力な地方領主たちの支援を受けました。最盛期には48もの建物がありましたが、現在は10にも満たないそうです。最初の大きな本堂(根本堂)は1393年以前に建てられ、その後何世紀にもわたって何度も拡張されました。本堂は杉で造られ、内部には秘佛として安置されている十一面観世音菩薩が収められています。1992年の根本堂再建工事において行われた調査により、現在の建物は5代目であり、この場所にある根本堂としては最大規模であることが確認されました。

三重塔は、すぐ近くの高い石段の上に立っています。この塔はケヤキという硬い木で造られていますが、ケヤキはこの地域では塔の建築材としてあまり使われない木材です。 この三層塔を建てた地元の大工は、塔建築の専門家ではありませんでしたが、軒下の斗栱の間から覗く、精巧に彫られた龍の彫刻に、彼の技術の高さが窺えます。通常日本では、最上階へ登ることができませんが、瑞光山清水寺では参拝者が最上階まで登ることができます。また、境内には現代的な宝蔵殿があり、寺に伝わる貴重な仏画や法具類が展示されています。根本堂では、禅宗の坐禅が行われています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A安来市清水町528

O9:00-17:00

C年中無休

Pあり

TEL0854-22-2151

尼子氏の堅牢な城塞 30月山富田城跡

月山富田城は歴史ある山城であり、特に戦国時代に出雲国 (現在の島根県) の主要な政治・文化の中心地として栄えました。この城は 山城の典型例で、山腹と山頂が独立した石垣で囲まれた複数の曲輪で堅牢に構成されています。山の中腹には 御殿が建てられ、最も防御力の高い曲輪は山頂に置かれました。現在は石垣などの遺構が整備された公園として残されています。

包囲された月山富田城
月山富田城の最初の建造物は12世紀に建てられたと考えられています。有力な戦国大名である尼子氏の本拠地であり、日本でもっとも難攻不落の城と言われていました。尼子氏の支配下では、城塞は拡張され、山の麓にある川沿いの城下町は栄え、一万人もの人口を抱えていました。1470年頃になると、月山富田城はライバルの戦国大名による度重なる攻撃の標的となりました。多くの直接攻撃は撃退されましたが、尼子氏は最終的に包囲戦に屈し、降伏して城門を開きました。その後、松江藩主であった堀尾忠晴が新しく建設した松江城に本拠地を移転したため、この城は放棄されました。

地形の巧みな利用
城の構造と設計は、山と川岸という自然の地形を巧みに利用し、最高の防御力を誇っていました。城下町は、川と山の間の狭い土地に築かれ、防衛の最前線となっていました。大規模な攻撃は主に川から来ると予想されたため、町には数百人の侍が住んでいました。また、町と山と城を隔てる幅広の堀と、城への入口となる門が、主要施設へのアクセスを厳重に管理していました。残念ながら、1666年に大洪水が発生し、城下町のほとんどが破壊され、現在では当時の遺構はほとんど残っていません。

防衛ゾーン
城は二つの主要な曲輪に分かれていました。下曲輪は、標高が低く、比較的傾斜が緩やかな麓側の広いエリアです。上曲輪は、標高190メートルの急峻な頂上の狭い尾根を占めています。2つのゾーンは急な斜面で隔てられており、登城路は厳重に守られた一本道のみで、七曲りという急坂が設けられていました。

頂上の区域には、尾根伝いに3つの石塁に囲まれた曲輪が一直線に並んでいます。最初の曲輪には3階建ての櫓と、厳重に守られた門があったと考えられており、3番目で最も高い曲輪である本丸は、他の曲輪とは急峻な天然の谷地で隔てられていました。さらに尾根沿いに進むと、山の頂上に勝日高守神社があります。これらの曲輪からは、中海、日本海、大山など、東西に広がる景色が見渡せます。

下段のエリアでは、比較的平坦な場所が多く見られましたが、それらは自然の谷によって分断され、独立した曲輪へと変えられました。その中でもっとも大きく重要な曲輪は山腹のおよそ中央部分に位置しており、そこには高くて頑丈な石塁に囲まれた本殿が建てられ、厳重に守られていました。唯一の入り口は、屋根付きの堅固な門でした。

珍しい城の詳細な模型
1611年の廃城後、月山富田城跡は自然に返り、平坦な曲輪跡地は長年農地として利用されてきました。それから数百年の時を経て、1934年には国の史跡に指定され、2006年には日本100名城にも選定されました。月山富田城への関心の高まりを受け、2014年から大規模な復元整備事業が開始され、2019年に完了しました。 城跡への入口付近にある「安来市立歴史民俗資料館」には、月山富田城と城下町の大型で精巧な模型が展示されており、遺物や地図、その他の歴史的資料も所蔵されています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A安来市広瀬町富田

Pあり

TEL0854-32-3357(安来市観光案内所広瀬支部)

「鉄の神様」の総本社 34金屋子神社

現在でもたたら職人や製鉄関係者の信仰を集めており、明治14年に建立された御影石造りの見事な大鳥居は日本一の高さを誇ります。

A安来市広瀬町西比田307-1

Pあり

TEL0852-26-4778(金屋子神社宮司)

360度のパノラマビュー 37米子城跡

米子城の双子の天守は、270年もの間、湊山の頂上から周囲を見下ろしていました。この城は15世紀後半から段階的に建設され、1602年に中村氏の本拠地としてほぼ現在の形になりました。この城の立地は珍しく、西は中海に突き出た小さな岬で、東は大山の麓まで広がる肥沃な平野が広がっていました。南は新加茂川が天然の障壁となり、さらに人工的に掘られた幅広の堀が城全体を孤立させていました。

独特な双塔構造
米子城は、他の多くの日本の城と同様に、曲輪と呼ばれる一連の城壁に囲まれた区画として配置されていました。そして高ければ高いほど、セキュリティも向上しました。天守は標高90メートルの湊山の頂上に位置しており、最も高い曲輪を形成する巨大な石垣の上に、五重の大きな天守が建てられました。少し離れた同様の石垣の上には、四重の小さな天守が建っていました。このような二重の天守構造は非常に珍しく、米子城に独特なシルエットを与えていました。現在、木造の建物は残っていませんが、最上部の曲輪は、石垣、斜面、階段が織りなす抽象的な景観となっています。最上部の曲輪からの眺めは、眼下に広がる活気ある街並み、川と橋、遠くに大山、中海、そして日本海まで見渡すことができます。上部曲輪へは、曲がりくねった美しい道と階段を15分ほどかけて登ることができます。

防御のための独立した曲輪
米子城の配置は、自然地形を巧みに利用しており、他にも工夫が見られます。湊山の頂上から深い谷で隔てられた飯山には、別の一連の曲輪と防御施設が築かれ、本丸への攻撃に対する物見櫓として機能していました。同様に、他の高台や隆起した岩場も要塞化され、本丸とは歩道でのみ繋がっていました。その中でも特筆すべきは、中腹の長い尾根筋に広がる、内膳丸です。こちらは湖や城下、市街地を一望できる見晴らしの良い場所でした。また御船手郭は、船着場、船倉、船乗りや漕ぎ手の住居など、水軍のための施設が置かれていました。水軍施設を持つ城は日本全国でも珍しかったと言われています。

御殿
米子城の下層の曲輪は、二の丸と三の丸でした。三の丸は内堀沿いの広大な区域を占め、兵舎、厩、米蔵、馬場、そして建築やその他の機能のための役所などが置かれていました。二の丸は、高い石垣に囲まれた二段の高台に築かれ、 枡形口と呼ばれる堅固な門のある曲輪によって守られていました。ここには、殿主の居館があり、生活、謁見など各種の機能を持つ建物や中庭、庭園などがつながっていました。 米子城の周囲は、内堀と外堀の間に位置する武家屋敷の曲輪で守られていました。

国史跡
米子城は数人の領主の手に渡りました。1632年からは荒尾氏が明治政府による廃藩置県まで城主を務めました。廃藩置県により封建制度が廃止されると、米子城を含む多くの城が取り壊されるよう命じられました。その後、城跡は荒れ果てましたが、やがて公園となり、隣接していた武家屋敷街は、米子市の中心商店街や官庁街へと変貌しました。そして1869年には、米子城跡は国史跡に指定されました。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A米子市久米町

P湊山公園駐車場、米子城跡三の丸駐車場

TEL0859-23-5436

良質な水とどんぐりの故郷 39上淀白鳳の丘展示館と史跡

淀江地区は、日本海に面した肥沃な平野と、大山山麓に抱かれた恵まれた土地です。この地域は、先史時代から重要な集落地帯でした。 西暦683年には、5~6世紀の有力者の古墳があった小さな谷間に、上淀廃寺が建立されました。しかし、寺院は1000年頃火災で焼失し、再建されることはありませんでした。 1991年からの発掘調査で、寺院の礎石や多くの遺物が発掘され、現在はその当時の場所が国の史跡に指定されて保存されています。2011年には、廃寺跡近くの資料館を改修し、「上淀白鳳の丘展示館」として開館され、本堂の礼拝空間の実物大復元模型の展示や、発掘成果・歴史資料を通して、寺院とこの地域のストーリーが紹介されています。

壊滅的な火災の残骸
上淀廃寺は、奈良の法隆寺や薬師寺と同じ西暦六百年代に建てられました。木造であったこれらの建築物は今も残っていますが、上淀廃寺は平安時代中期に大火で消失し、現在は記憶の中だけに存在しています。

発掘調査によると、このコンパクトな寺院建築群は谷地という立地を巧みに利用していました。全体の配置は特異で、通常見られる1つか2つではなく、3基の多層塔が南北に一直線に並んでいたのです。しかし、火災に遭うまでに完成していたのは2基だけでした。 大きな本堂には、台座に座す阿弥陀如来像が安置されており、その左右には脇侍の菩薩像が一対で祀られていました。これらの像の破片は何千点も発掘され、展示されています。破片のおかげで、専門家は当初の像を実物大で復元することができ、現在はこれが博物館の見どころとなっています。また、焼けた壁画片も多数出土しました。これらは、本堂の壁面が法隆寺と同様の高度な技法で作られた壁画で覆われていたことを示しています。壁画の一部も適切な場所に復元されています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A米子市淀江町福岡977-2

Pあり

TEL0859-56-2271

O[上淀白鳳の丘展示館]9:30-18:00 [伯耆古代の丘公園]9:30-17:00

C[上淀白鳳の丘展示館]火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始 [ 伯耆古代の丘公園]毎月第2、第4水曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始

天台宗の古刹 56大山寺

大山寺は、約1300年前に出雲の金蓮上人によって創建されました。本堂は1928年に焼失しましたが、1951年に再建されました。現在も重要文化財を含む多くの貴重な品々が残されており、山陰の名刹として知られています。

A西伯郡大山町大山9

O9:00-16:00

C宝物館(霊宝閣)は12月1日〜3月31日まで休館となります。

P大山博労座駐車場

TEL0859-52-2158

日本最大級の弥生時代集落遺跡 59鳥取県立むきばんだ史跡公園

鳥取県立むきばんだ史跡公園は、重要な史跡を保存・研究・公開することを目的とした広大な公立公園です。この史跡は、弥生時代中期から古墳時代前期にかけての集落跡で、最盛期には数百軒もの住居や施設が存在していました。この集落は、アジア大陸からの文字が入ってくる数世紀も前に栄えていたため、当時の文化や技術、交易の様子などは考古学的な調査によって復元されています。むきばんだの弥生時代集落跡は、この時代に発見された集落跡としては最大のもので、史跡公園は考古学研究の場であると同時に、教育的資源にもなっています。

石器時代から鉄器時代へ
むきばんだ史跡公園には、7つの地区にまたがる約950棟の建物の発掘調査跡があります。この遺跡は、弓ヶ浜半島を見下ろす大山の麓の広くなだらかな森林の丘陵にあります。最初の遺跡は1931年にここで発見され、1997年に大規模な発掘調査が始まりました。最も古い遺跡は紀元前百年頃のものですが、ほとんどは紀元後3世紀頃のものです。この時代の日本では、まだ石器が主流でしたが、鉄器の遺物も多く見つかっており、この時代が後期新石器時代から鉄器時代への大きな技術的転換期であったことを示しています。中国製の青銅器の破片やガラス玉などの交易品は、当時むきばんだが広範囲にわたる交易ネットワークの一部であったことを証明しています。

古代のインテリアデザイン
建物跡のほとんどは保護のため埋め戻されており、大きさなどの詳細を記した看板が設置されています。約21棟の建物が元の場所に再建されています。そのうち九棟は地下約1メートルの深さに生活空間を掘った、ほぼ円形の竪穴式住居です。頑丈な丸太を地面に垂直に立て、横梁で繋げて建物の骨組みを造り、若い木を斜めに並べて骨組みに縛り付け、屋根の傾斜を作りました。葺き材として葦や萱などを用いて屋根を覆い、煙突口を設けて煙を外に出しました。出入り口の上には日差しや雨を防ぐ庇が設けられていたのが一般的です。一部の発掘調査では幅広の木板が見つかったことから、より堅牢な屋根を持つ建物が存在したと考えられます。 復元実験では、これらの木板は土でできた屋根を支えることが可能だったことが示され、実際にそのような復元例も見られます。発掘調査では、火を起こしていたと思われる窪みが見つかります。復元された建物の中には、このような火跡を再現したものもあります。 生活用品を収納していたと思われる、周囲に土でできた広い棚も復元されています。建設過程を伝えるために、一部の復元は未完成のまま展示されています。

穀物や貴重品を保管する倉庫
むきばんだ遺跡でよく見られるもう一つの建物形式は高床倉庫でした。高床倉庫は通常、長方形の形をしており、地面から約2メートルほどかさ上げされていました。発掘調査では、穴の開いた板材が見つかっています。この板は紐で縛り合わせて壁にすることができたと考えられています。復元された建物の中には、このような板壁のものだけでなく、杉の皮を編んで作った壁を持つものもあります。高床にすることで、地面からの湿気による腐食を防ぎ、また、ネズミなどの侵入を防ぐ役割を果たしました。

大規模コミュニティの深層に迫る
壁のある大きな竪穴住居と、特異な構造物が発見されました。これは、リーダーの住居ではないかと推定されています。また、現地では石組みの墓が約39基発掘されており、その多くは日本国内では他に類を見ない、角張った特徴的なデザインを持っています。これまでに数百軒の建物の跡が発掘されていますが、専門家によると、これは集落全体の建物のほんの一部 (10分の1程度) にすぎないと考えられており、集落自体は現在の公園の境界線をはるかに超えて広がっていたようです。

弥生時代の暮らし展
「弥生の館むきばんだ」と呼ばれるビジターセンターがあります。館内には、道具や土器、その他の発掘品を展示する博物館のほか、農業、道具作り、住居建設などの様子をジオラマで分かりやすく紹介しています。弥生時代の生活様式、食料、衣服、土器、交易などあらゆる側面が説明されています。また、ワークショップスペースでは、弥生時代の土器や道具作りなど、さまざまな体験学習を行うことができます。 少し離れた場所では、発掘調査で見つかった3基の竪穴住居をそのまま保存しています。こちらは、来場者が発掘当時の状態を学ぶことができるようになっています。さらに、屋外では発掘体験ができるエリアもあり、発掘技術を学ぶこともできます。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A西伯郡大山町妻木1115-4

O9:00-17:00

C毎月第4月曜日(祝日の場合は翌日)、12/29~1/3

Pバス3台 / 乗用車60台(身障者用駐車場あり)

TEL0859-37-4000

日本最大級の権現造り建築 60大神山神社奥宮

この神社は、仏教修行僧のための礼拝所として開かれたのが起源だと言われています。
<3つの日本一>
- 自然石で舗装された700メートルの参道
- 日本最大級の権現造り建築(国重要文化財)
- 見事な大型漆塗りの装飾

A西伯郡大山町大山1

P大山博労座駐車場

TEL0859-52-2507

湖畔に広がる花と鳥の楽園 12松江フォーゲルパーク

宍道湖の湖畔にある丘陵地に、信じられないほど美しい花と鳥の楽園が広がっています。園内は1年中花々が咲き誇り、まるで花の絨毯のようです。温室では、さまざまな種類の鳥たちと触れ合うことができたり、フクロウのショーなどのイベントも楽しめます。

A松江市大垣町52

O9:00-17:30(10月~3月は17:00

C年中無休

Pあり

TEL0852-88-9800

どじょうすくい 29安来節演芸館

安来節は、明治時代に安来地方で生まれた人気の民俗舞踊です。当初は家庭や宴会、祭りなどの際に踊られていましたが、次第に全国的に知られるようになりました。安来節の盛況を祝し、瓦屋根の木造建築物として安来節演芸館が開館しました。中は200席の伝統的な劇場となっており、畳敷きの段差に座るゆったりとした座席や、両サイドの木造バルコニーが特徴的です。歌舞伎劇場と同じように、舞台から客席後方へ伸びる花道があり、演者は観客と触れ合うこともできます。 終盤には「どじょう掬い」と呼ばれるドタバタな道化芝居が演じられます。不器用な農民が大きな網でドジョウを必死にすくおうとするユーモラスな演目です。安来節演芸館では、このドジョウが館内のいたるところでユーモラスなモチーフとして使われており、レストランではドジョウ料理が提供されるほどです。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A安来市古川町534

O10:00-17:00

C火曜日(祝日の場合は翌日)

Pあり

TEL0854-28-9500

藍染めや織物を体験 31広瀬絣センター

絣は、日本の伝統的な織物技法です。あらかじめ染めた糸を織ることによって、布地に幾何学模様や絵画のような模様を表現します。特徴的なのは、染め上がりのぼんやりとした輪郭です。 安来市の広瀬町は、盛んな絣産業の中心地で、この期間には独特なデザインが数多く生み出されました。広瀬絣センターは、1985年に設立され、この貴重な地元の伝統工芸を振興するために活動しています。(「絣(かすり)」は、複合語になると「ガスリ」と発音されます。)

アジア全域で見られる技術
絣は、長い歴史を持つアジアの「ikat」と呼ばれる技法がもとになっています。「ikat」という言葉はマレー語/インドネシア語ですが、この技法自体はインドで始まったと考えられています。この技法で作られた美しい絹織物は、中国を経由して日本に渡来し、現在も奈良の正倉院に収蔵されています。 絣技法は14世紀以降、琉球王国(現在の沖縄県)で高度に発展し、九州の薩摩藩が琉球を侵攻した後、南日本に伝わりました。18世紀半ばまでには、この織り技法は中部地方の奈良県にまで広がり、安価で丈夫な綿糸にも用いられるようになり、多くの家庭で手頃な布地として親しまれるようになりました。広瀬は、19世紀初頭に日本各地で出現した絣の産地の一つであり、その人気商品は全国各地に出荷されていました。

緻密で手間のかかるプロセス
高品質の絣を手織りで作るのは、非常に手間のかかる作業であり、30以上の工程から構成されます。通常、着物の生地を作るのに十分な長さ(1反、約13メートル×38センチメートル)を織るには、2~3ヶ月かかります。

広瀬絣で一般的に使われる綿糸は、染めの前に柄付けをするために、長い木の枠の上に広げられます。広瀬絣では、代々受け継がれてきたものもある、再利用可能な紙の型紙が使われます。絣の技法の肝は、染料(通常は天然藍)が糸の特定の部分に付かないようにして、白い部分を残し、織り柄を作ることにあります。広瀬絣では、染料が染み込まないように、麻糸で糸束をしっかりと縛るという、最も伝統的な方法が用いられます。次に、染料液が入った大きな桶で染めた後、糸束を解いて洗い、乾燥させると、織り糸が完成します。デザインと染色は綿密な計算に基づいており、織り手は正確さを期して、糸を一本一本丁寧に配置する必要があります。糸の括り付けと織りは、伝統的に各家庭で行われており、時には子供たちも手伝っていたそうです。

デザインとモチーフ
広瀬絣センターには、地元で作られた素晴らしい絣の織物だけでなく、大切に保存されてきた古い柄見本も展示されています。当初の絣の柄は、小さく幾何学的なものが多かったのですが、19世紀後半になると、より精巧で写実的な柄が開発されました。広瀬の絣職人は、鶴や亀などの縁起の良い模様(長寿を象徴)や、鯉や幸運の神様など他の縁起物の大胆な写実的モチーフを使いこなすことに長けていました。これらのモチーフは、躍動感のある対比で互いが重なるように見える大きな幾何学模様と巧みに組み合わせられました。シンプルな幾何学模様は、主に作業着や着物の柄として使われていましたが、大胆な写実的模様は、広々とモチーフを表現できる着物、座布団(ざぶとん)、暖簾(のれん)、布団カバーなどに人気がありました。

広瀬絣センターの活動の中心は、技術の伝承にあります。センターには30台以上の伝統的な織機があり、継続的に指導プログラムが行われています。来場者は、藍染めの短期ワークショップに参加したり、展示されている豊富な種類の広瀬絣製品を購入したり、センター内にあるそば処で地元のそばを味わったりすることができます。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A安来市広瀬町町帳775-1

O10:00-17:00

C水曜日、年末年始

Pあり

TEL0854-32-2575

船に乗って街めぐり 44加茂川・中海遊覧船

加茂川・中海遊覧船に乗船して、船頭さんのユニークなガイドを聞きながら、加茂川と中海を約50分かけてクルーズしましょう。ノスタルジックな街並みや景色を楽しめる、米子観光に欠かせないアクティビティです。

A米子市中町

O10:0014:00

C12月~3月(雨天・降雪時は中止)

Pあり

TEL0859-22-6317

たくさんのかわいい魚たちが待っています 48海とくらしの史料館

海とくらしの史料館は、主に魚に焦点を当てた興味深い博物館です。1994年に開館し、魚類を中心に約4000点の海洋生物の標本を展示しています。これらの標本は、種政幸氏によって作製されたもので、当時は学童が魚の種類を学ぶためには絵本に頼らざるを得ない状況でしたが、種氏は、魚の皮や外見を損なうことなく、内部臓器、骨格、そして身の部分を取り除く技術を開発しました。この技術の詳細についてはほとんど明かされていませんが、空になった体に木くずを詰め、薬品で保存処理を行い、樹脂で硬化させて元の形に復元する作業が含まれます。非常に時間のかかるプロセスです。

海とくらしの史料館では、ホオジロザメ、クロマグロ、巨大なリュウグウノツカイ、そしてマンボウなど、超大型の魚種も展示されています。ほとんどは地元で捕獲されたもので、分類学に基づいてグループ分けされ、生息域や亜種についても説明が添えられています。 また、色鮮やかなカニやその他の甲殻類も展示されており、数百匹の膨らんだフグが面白おかしく並ぶコーナーも設置されています。このコーナーは、記念撮影の際のユニークな背景としても人気です。

再利用された酒蔵
この博物館は、100年以上前に港沿いに建てられた古い酒蔵を利用して作られています。当時の境港の経済は漁業よりも貿易が中心であり、この博物館はそうした時代の面影を残しています。 博物館の外装は白漆喰の壁と瓦屋根で、かつて地元の人々に愛されたランドマークであった酒蔵を彷彿とさせます。一方内部は、元の建物の木造骨組みがそのまま生かされています。漁業や船乗り生活に関する展示品も充実しており、様々な道具や漁船全体などを見ることができます。さらに、来館者は「みなと丸」という船に乗り込むこともできます。

この博物館は伝統的な地元の生活様式についても来館者に伝えることを目指しています。館内には、農具、衣類、道具など、かなりの規模のコレクションが展示されています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A境港市花町8-1

O9:30-17:00

(受付は16:30

C火曜日(祝日の場合は翌日)、12/29~1/1

Pあり(バス利用可)

TEL0859-44-2000

海の見えるスキー場 57だいせんホワイトリゾート

西日本最大級のスキーリゾートの一つです!このリゾートは4つの個性豊かなエリアで構成されており、豊富な種類のゲレンデは、ウィンタースポーツ愛好家にとって人気のスポットとなっています。

A西伯郡大山町大山96

O8:30-17:00(天候により異なります)17:00-21:00(夜間:毎週土曜日)

C冬季のみ営業

P大山博労座駐車場

TEL0859-52-2315

白い灯台と青い海 02出雲日御碕灯台

日御碕は断崖絶壁が続く国立公園です。高さ43.65mを誇るこの灯台は、国内で最も高い石造りのものとして知られ、「世界灯台100選」にも選ばれています。真っ白な外観は空と海の青さに映えますが、夕暮れの景色もまた絶景です。

A出雲市大社町日御碕1478

O9:00-16:30

C12月30日、31日

Pあり

TEL0853-54-5341

巨大な岩の雄大な景色 03立久恵峡

この場所は、1年を通して美しい峡谷が楽しめる絶景スポットです。春は桜、夏は深緑、秋は険しい岩肌と紅葉、冬はまるで絵画のような雪景色と、四季折々の表情を見せてくれます。渓流沿いには旅館が点在し、どれも素晴らしい眺望の露天風呂を備えています。

A出雲市乙立町

P八光園前/15台、わかあゆの里/70台

TEL0853-45-0102 (わかあゆの里)

花咲き誇る美しい島、「大根島」 14日本庭園 由志園

四季折々の牡丹など、1年を通じて季節ごとの魅力をお楽しみいただけます。高麗人参やその加工品も人気です。

A松江市八束町波入1260-2

O10:00-17:00

C年中無休

Pあり

TEL0852-76-2255

美しい夕日と宍道湖 15宍道湖夕日スポット とるぱ

「水の都・松江」を象徴する宍道湖の美しい夕日は「日本の夕陽百選」にも選ばれています。日没直前には、刻々と変化する絶景が目の前に広がります。

A松江市袖師町

Pあり

TEL0852-21-4034

懐かしの街並みと人情 40米子城下町

米子のような城下町は、防衛訓練を受けた侍が城に近い区画に住むよう区分けされ、商人や職人などの一般市民は堀や門などで区切られた別の区画に住んでいました。米子では、明治時代の武士階級廃止とともに武士の住居はほとんど姿を消しましたが、かつての武家屋敷地区は現在、近代的な企業や官庁が建ち並んでいます。一方、町民の住んでいた区画は開発を免れ、当初の街並みと雰囲気を色濃く残しています。

桜並木が美しい加茂川は、実はかつて庶民の町と武家屋敷を隔てていた堀です。川沿いには、商人たちが商品運搬に利用していた白壁の伝統的な蔵が多く並び、商店や住宅など、その他の建物も立ち並んでいます。細い道沿いには、多くの伝統的な町屋が軒を連ねています。坂口家住宅やその隣にある築90年の洋館などの大きな住宅や施設はごくわずかで、細い道沿いには、多くの伝統的な町屋が軒を連ねています。加茂川には数多くの趣のある低い橋が架かっています。

米子の庶民の町は、かつての武家屋敷町の反対側、寺町と呼ばれる非常に古い寺社が密集する地域と接しています。寺町には10もの寺社があり、そこで暮らす僧侶たちの存在は、このエリアの日常風景の一部となっています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A米子市 (中町   久米町   加茂町   etc.)

Pあり

TEL0859-22-6317

市民の手でつくる水鳥の楽園 41米子水鳥公園

中海沿いの湿地帯は、何世紀にもわたって渡り鳥たちの越冬地として重要な場所でした。しかし、戦後の干拓事業 により、湖沿いの広大な湿地帯が次第に失われていったため、地元住民からは水鳥の生息地の保護を求める声が上がっていました。 1995年に開園した米子水鳥公園は、そうした保護活動の一歩として設立されました。毎年、この保護区には100種以上、10000羽を超える渡り鳥が訪れます。 秋から冬にかけては、コハクチョウ、 ヘラサギ、マガンなどが飛来し、春と夏にはカルガモ、ムシクイ、カイツブリなどが繁殖しています。

使いやすい設備
米子水鳥公園は厳密には人工湿地で、葦原に囲まれた深さ 1メートルの池が28ヘクタールの敷地の大半を占めています。この保護区には、池を見下ろす床から天井までの大きなガラス窓がある木造のネイチャーセンターがあり、望遠鏡や双眼鏡を使用して、鳥を間近で観察できます。その他に、視聴覚室、教育展示、地元の野生生物と生態系に関する展示などがあります。図書館では、専門のスタッフが質問に答えてくれたり、見どころを教えてくれたりします。八角形の展示室では多くの種類の野生のガンの剥製標本が展示されていたり、屋外の通路と観察エリアでは特定の鳥たちを間近で観察することができます。この施設では、子供と大人の両方を対象とした体験学習アクティビティが定期的に開催されており、学校単位での見学も受け入れています。

米子市と鳥取県の出資により設立された中海水鳥国際交流基金財団は、長年にわたり培ってきた知見や経験を共有しながら、世界中の専門家などと積極的に国際交流を行っています。また、地元のボランティア活動が活発で、保護区の環境管理に地元住民が参加するよう促しています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A米子市彦名新田665

O[4月~10月]9:00-17:30 [11月~3月] 9:00-17:30(平日) 7:00-17:30(休日)

C火曜日(祝日の場合は翌日)

Pあり

TEL0859-24-6139

本州最大級の太陽光パネル 45テラスエナジー鳥取米子ソーラーパーク

本州にある最大級の太陽光発電システムの一つです。近くに「とっとり自然環境館」があり、地元の再生可能エネルギー施設や環境NPOについて紹介しています。

A米子市大崎3421-9

O10:00-17:00

C年中無休

Pあり

TEL0859-21-8533

日本海の雄大な景色 49夢みなとタワー

地元の人々からは「日本一低いタワー」として愛されている、夢みなとタワー。展望台はわずか43mの高さですが、弓ヶ浜半島の日本海側の海岸線、遠くには大山、足元には境港の港を一望できる360度のパノラマビューが楽しめます。晴れた日には、さらに遠くに浮かぶ島々も見えるそうです。 杉本洋文氏による設計で、タワーの中心部は円筒形の鉄塔で構成され、その周りを層になった集成材とガラスでできた曲線の外壁が囲んでいます。様々な構造要素は、鉄の緊張材のネットワークで結ばれ、明るく開放的な大きな吹抜け空間を形成しています。 タワーに隣接する大きなドームは、一階がタワーの入り口ホールとなっており、上階にはイベントスペース、会議室、劇場などの施設が入っています。4階にはオーシャンビューのカフェがあります。

国際貿易の重要性
本施設の一番の見どころは、三階にある「環日本海研究室」です。この展示室では、鳥取県と文化交流のある六つの地域の伝統的な生活と現代の生活の様子が紹介されています。それぞれの地域の工芸品や衣装、芸術作品、その他歴史や文化的に興味深い品々が展示されています。

民族衣装試着コーナー
環日本海研究室の目玉の一つは、モンゴルの移動式住居「ゲル」です。フェルト製のカバーは、彫刻と塗装が施された木製の骨組みに紐で取り付けられ、内部は伝統的な模様が装飾されたテーブル、椅子、収納箱、そして高い衝立が備え付けられています。 ロシアのマトリョーシカ人形のコレクションもあり、ほとんどは伝統的なデザインのものですが、中にはマイケル・ジャクソンや他の有名人のユーモラスなカリカチュア人形もあります。 また、中国の伝統的な住居様式を再現した大きな模型も、見どころの一つです。 環日本海研究室の中でも特に興味深いのが、民族衣装試着コーナーです。来館者は、日本を含む各地域の伝統衣装を実際に試着することができます。衣装には帽子、履物、アクセサリーなど、子供、男性、女性用のものが揃っています。多くは非常に高品質で、本物さながらのデザインとなっており、各地域の風景をバックにした記念撮影用の大きな背景幕も用意されています。

夢みなとタワーは、旅客ターミナルのすぐ隣に位置しており、案内板や情報は全て多言語対応となっています。このような国際色豊かな複合施設は、この地域の玄関口として最適な役割を果たしています。

この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。

A境港市竹内団地255-3

O9:00-18:00(10月~3月は17:00まで)

C毎月第2水曜日(祝日の場合は翌日)

Pあり(バス利用可)

TEL0859-47-3800

ジェットコースターのような橋は必見です! 52江島大橋

「風」をコンセプトにした美しい軽やかなデザインを持つ江島大橋は、ライトアップされたシルエットが美しく、夜の絶好の撮影スポットとしても知られています。天気が良ければ、橋の上からは大山も望むことができます。

A境港市渡町

Pファミリーマート江島大橋店

TEL0859-47-0121

日本最大級のフラワーパーク 58とっとり花回廊

鳥取の名峰・大山を望む広々とした公園で、四季折々の花々を満喫できます。

A西伯郡南部町鶴田110

O[4月~11月] 9:00-17:00 [11月~3月] 9:00-16:30(ライトアップ期間中は21:00まで)

C[12月~3月] 火曜日

Pバス 27台 / 乗用車 2,000台

TEL0859-48-3030

お城のような道の駅 09道の駅キララ多伎

北欧風の建物が特徴的な道の駅で、エメラルドグリーンの海が広がるキララビーチは、夏の人気スポットです。近くにある「キララコテージ」では宿泊やBBQが楽しめ、「マリンタラソ出雲」ではタラソテラピーを体験できます。

A出雲市多伎町多岐135-1

O9:00-18:30

C不定休日あり

Pあり

TEL0853-86-9080

島根県東の玄関口 35道の駅あらエッサ

この道の駅では、中海の豊富なグルメや最新の観光情報を入手できます。安全で新鮮な地元の農産物や、どじょうを使った商品、出雲そばなど、地域の特産品も取り揃えています。

A安来市中海町118-1

O9:00-18:00

C年末年始

Pあり

TEL0854-23-2510

ホテルやレストランへのアクセスが簡単 38米子駅と市街地

山陰エリアは、米子市中心部からアクセスしやすい場所にあります。米子市は、多くのホテル、旅館、レストランがあり、旅の拠点として最適です。このエリアでは新鮮な魚介類を楽しむことができます。

A米子市中心部

Pあり

TEL0859-23-5211

境港の新鮮な魚を厳選 53大漁市場なかうら

「大漁市場なかうら」は、日本海で獲れたあらゆる海産物が揃う海産物市場です。ズワイガニや鮮魚、干物などの地元名産品が、仲買人によって直接取引されており、1年を通して新鮮な食材を求める多くの人々で賑わっています。

A境港市竹内団地209

O8:30-16:30

C12月31日~1月4日

Pあり(バス利用可)

TEL0859-45-1600

西日本最大級の海産物専門店 54境港さかなセンター

広々とした施設内では、8軒の地元の仲買人たちが価格と鮮度で競い合っています。鮮魚やカニだけでなく、干物や加工水産品など漁業製品も豊富に取り揃えられています。購入した魚をさばき、刺身にしてもらうこともできます。

A境港市竹内団地259-2

O8:30-17:00

C水曜日(祝日は営業)

Pあり(バス利用可)

TEL0859-45-1111

新鮮でリーズナブルな海産物! 55境港水産物直売センター

日本海で獲れた新鮮な魚介類が並ぶ「境港水産物直売センター」では、境港の魚に精通したスタッフが直接販売しています。海産物についてどんな質問でもお気軽にお尋ねください! 日本全国への発送も承ります。

A境港市昭和町9-5

O8:00-16:00

C火曜日

Pあり(バス利用可)

TEL0859-30-3857

Sakaiminato Suisanbutsu Chokubai Center