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大国主大神を祀る日本最古の神社の一つで、縁結びのパワースポットとしても人気です。『古事記』『日本書紀』によれば、出雲大社は「国譲り」の際に建てられた大宮が起源とされています。現在の社殿は1744年に建てられたもので、高さは24メートル。1952年に国宝に指定されました。60年ごとに遷宮が行われています。
「神迎神事」
旧暦の十月十日の夜に全国から訪れる神々を迎える儀式。
◆出雲大社への参拝方法◆
ほとんどの神社では、2回お辞儀をし、2回拍手をして、最後にもう1回お辞儀をしますが、出雲大社では、2回お辞儀をし、4回拍手をして、最後にもう1回お辞儀をするのが正しい方法です。
松江城は、松江市中心部を見下ろす荘厳で威圧感のある平山城です。江戸時代初期の 1611年に完成し、千鳥が羽を広げたような曲線の屋根「入母屋破風」が東西南北の四方に乗っていることから、別名「千鳥城」と呼ばれるにようになったと言われています。 現存する天守を持つ城は全国でわずか12城しかなく、松江城はそのうちのひとつです。他の多くの日本の城と同様に、松江城も長年にわたって改修を重ねてきましたが、中心となる天守は 基本的に当初の姿を保っています。
代々続く家の統治
松江城の建設は、堀尾吉晴によって始められました。その後、城は京極忠高に継承されましたが、忠高は跡継ぎのないまま死去したため、初代徳川将軍家康の孫である松平直政が城主となりました。直政は初代松江藩主となり、松江は文化と経済の長期的な繁栄期を迎えました。松平家は、明治維新後に藩制度が廃止されるまで、10代にわたって松江城を保持しました。1873年の廃城令によって多くの日本の城が取り壊される中、松江城は市民や地元リーダーの資金集めや熱心な支持のおかげで、中央の天守が保存された後、城は徹底的な修復が行われ、2015年には国宝に指定されました。
理想的な防御拠点だった松江城
松江城の立地は、陸地や宍道湖からの攻撃から守られるとともに、周辺の水運を利用しやすい交通の便にも恵まれていました。掘られた堀は、今もほとんどが残っており、掘り出した土は城の西側の湿地帯を埋めるのに使われました。大橋川は、もう1つの天然防御線として機能しました。日本の城は通常、複数の曲輪(くるわ)と呼ばれる防衛区域に分けられており、松江城には3つの曲輪があります。本丸は城内で最も高く安全な場所に位置し、天守が建てられていました。二の丸は上下に分かれており、上段には殿主の住居と政務を行う建物、下段には兵舎が置かれていました。三の丸には官舎も含まれていましたが、これらはすべて明治時代に解体されました。その後、二の丸上段に神社が建立され、1903年には西洋風の大きな迎賓館が増築されました。三の丸跡地には現在、島根県庁舎が建てられています。
数多くの門やその他の建造物は取り壊されましたが、城の巨大な石垣はほぼ完全にそのまま残っています。
革新的な設計機能
松江城の目玉は、見事に保存された天守です。外観上は、高く傾斜した石垣の上に4層の階層が建ち並び、上に行くにつれて小さくなっているように見えます。天守閣は黒い墨塗りの板壁で覆われ、重なり合う屋根や破風(はふ)が外観を引き締め、内部空間を守っています。最上階の屋根は、木彫りで、表面は銅板で覆われた「しゃちほこ」と呼ばれる、伝説の海の生き物を模した勇壮な棟飾りで飾られています。
外観こそ4層に見えますが、松江城の天守は五階建、地下1階付になっています。また、この天守の珍しい特徴のいくつかは、建設者たちが直面した問題への解決策として開発された革新的なものです。松江城が建てられた17世紀初頭は、日本全国で城の建築が盛んに行われており、森林伐採が深刻化していました。そのため、この種の建築様式で用いられるような太い柱材を手に入れることが困難だったのです。城の設計者たちは、このような状況を克服するため、より小さな木材を束ねた柱を用いました。この柱は天守内部に130本確認することができます。
構造的な安定性をさらに高めるため、柱は1階分だけ支えるのではなく、2階分の高さにわたって連続するように組み合わされました。互い違いに配置されることによって、強固な構造になっています。また、短い柱を水平の梁で巧みに支えることによって、負荷を分散し、長い柱が不要になりました。さらに革新的な特徴としては、軽量な桐材で作られた取り外し可能な内部階段が挙げられます。必要に応じて階段を引き上げることができ、侵入者が上の階に上がるのを防ぐことができました。地下は物置としても使われましたが、城が包囲されたときに信頼できる水源を確保するために、井戸も掘られていました。
城下町と領地の風景
松江城を訪れると、館内には多言語で解説された歴史展示や、城郭の設計上の特徴についての説明を見ることができます。最上階はかつて見張り台として使われており、宍道湖、周辺の山々、そして眼下の街並みが一望できる大きな窓が備わっています。まさに、松江藩主たちが何世紀にもわたって見続けてきた景色が広がっているのです。
この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。
資料や映像、模型などで、城下町の仕組みや歴史、文化を分かりやすく展示しています。 また、見学者は館内のカフェで抹茶と和菓子を楽しみながらゆっくりと過ごすことができます。松江城下町を散策する際の出発点としても最適で、松江城を知るには欠かせないスポットです。
松江城は築城当時の堀が残されています。遊覧船に乗って、レトロな街並みや小泉八雲ゆかりの地など、様々な見どころを楽しむことができます。
この美術館は1300点もの芸術作品を所蔵しています。所蔵品には、近代日本画の巨匠・横山大観による作品から、安来を代表する陶芸家・河井寛次郎や、美食家としても知られる陶芸家・北大路魯山人の作品まで、幅広いジャンルにわたります。漆器などの作品も所蔵されています。また、美術館には広大な日本庭園があり、アメリカの「The Journal of Japanese Gardening」誌による「日本庭園ランキング」で 20年以上連続1位を受賞しています。
茶室「寿楽庵」
外に見える白砂青松庭を双幅の「生の掛軸」として眺めながら、安らぎのひとときをお過ごしください。
「横山大観特別展示室」
足立美術館には、近代日本画の巨匠、横山大観の初期から晩年までの作品約130点が収蔵されており、年間を通じて展示室で展示しています。
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皆生温泉は、鳥取県米子市の中心部から車で約15分の美しい砂浜海岸線に面した天然温泉地です。古くは漁村として栄えていましたが、温泉が発見されたのは1900年と意外に新しく、地元の漁師が砂浜から湧き上がる泡を発見したことがきっかけとされています。皆生にある旅館やリゾートホテルはリーズナブルなものから高級なものまで幅広く立地し、宿泊と日帰りの両方で入浴と海水浴場にアクセスできます。皆生温泉は、日本でも数少ない、温泉と海水浴を同時に楽しめる場所の一つです。
皆生温泉は、日本トライアスロン発祥の地としても知られており、トライアスロン競技のためのオープンウォータースイミング、サイクリング、ランニングのスポーツ施設が整備され、継続的に改善が重ねられてきたことから、日本オリンピック代表選手などもトレーニングに訪れています。 海岸線を走る弓ヶ浜サイクリングコースは、皆生温泉と西へ約16km離れた境港市を結んでおり、サイクリング愛好家にも人気です。 また、皆生は透明度の高い海とホタテの形をした浜辺がシュノーケリング愛好家を引きつけています。スタンドアップパドルボードやシーカヤックなどのマリンアクティビティも人気です。
この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。
皆生温泉は日本のトライアスロン発祥の地であり、7月には多くの鉄人が訪れます。
海風を感じながらリラックスできる足湯
皆生には、誰でも無料で利用できる足湯が2か所あります。海が見える「潮風の足湯」と、季節の花に囲まれた「花風の足湯」です。
潮風の足湯
■営業時間 10:00-21:00
花風の足湯
■営業時間 10:00-21:00
水木しげるロードは、境港駅から続くメイン商店街約800メートルにわたる一角で、この街で育った世界的に有名な漫画家、水木しげる氏を称えています。通り沿いには、178体の妖怪ブロンズ像が立ち並び、水木氏の代表作である「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するキャラクターをはじめ、水木氏が描いた日本神話や民話に登場する妖怪たちも展示されています。水木ファンをはじめ、多くの観光客が境港に訪れています。
妖怪ゾーン
5つのテーマに分けられて設置されているブロンズ像の大きさは様々で、小さなものから等身大のものまであります。 ほとんどの像はユーモラスな表情をしています。 案内地図もたくさんあるので、お気に入りを見つけながら街並みを探索することができます。 一角には妖怪神社があり、珍しい形の鳥居をくぐると通りに出られます。 中央には大きな黒御影石と木でできたオブジェがあり、その脇には不気味な模様がついた背の高い石の水盤が立っていて、願い事を記した木製絵馬が壁一面に飾られています。「妖怪からくりおみくじ」と呼ばれるおみくじを引いたり、妖怪ポストから郵便を出すこともできます。 少し離れた角には、「河童の泉」があります。 水木しげる氏は別の一角で妻と共に、また別の場所では彼のキャラクターである目玉おやじ、ねずみ男、鬼太郎と共に製図台の前に描かれています。
妖怪ショッピング
水木しげるロード沿いには、妖怪をテーマにした店がずらりと並んでいます。ラーメン店、ATM、アンティークショップ、そしてお土産屋まで、ありとあらゆる店が妖怪をモチーフにしています。ユーモラスなアレンジが尽きることなく、見ているだけでも楽しめます。「水木しげる記念館」は、 2024年に大掛かりなリニューアルが行われました。また、水木しげるロードはコンピュータ制御プロジェクターが、お馴染みのキャラクターの影絵を通りや歩道に映し出しています。
この英語テキストは、日本政府観光局によって作成されました。
鬼太郎とその仲間たち