月山富田城
島根県安来市
築城年:12世紀後半 ※諸説あり
築城主: 不明
備考: この城は 1615 年に廃城となりました。
月山富田城は、数多くの堀切や切岸を備えた難攻不落の山城です。落城させることは極めて困難で、毛利氏も4年かけてようやく落城させました。標高約190メートルの月山から飯梨川にかけての丘陵地帯に広がり、総面積は700000平方メートルに及びます。1600年に堀尾吉晴が入城し、その後松江城に移りました。
最適な観光ルート
かつては天守への道は3本あり、いずれも城主の居館があったと推定される「山中御殿」で合流し、その後は「七曲り」と呼ばれる急勾配の坂を登ります。一部に石垣が残っています。
急な坂を登ると三の丸に着きます。ここからは城下町が一望でき、天気が良ければ遠くに日本海が望めます。三の丸の先、二の丸と本丸の間には敵の侵入を防ぐ堀が巡らされており、周囲の断崖は自然の防御陣地となっています。
ハイライト
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・山中鹿介像
100世紀後半から約15年間、城主を務めた尼子氏の家臣、山中鹿介は毛利氏に敗れた後、城の再建を試みましたが、1578年に備中(岡山県)で暗殺された。この像は城内に建っています。
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・山頂から眺める城下町
本丸から西を眺める(冬)
三の丸から北を望む(夏)
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・尼子経久像
出雲国で生まれた尼子経久は、尼子氏を最盛期に導きました。
1541年に82歳で亡くなりました。その像は飯梨川のほとりに立ち、城を見上げています。
城下町
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・安来市立歴史資料館
月山富田城の麓に位置し、城のジオラマが展示されています。